水星茶会客人

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¥5,800 JPY
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水星茶会客人ーハスの葉のサラーニョ(小)2025
セラミック
2025

w 8 × d 8 ×  h 7
※写真の3種類の中の、もっとも小さいサイズです。

以下、自然で作品キャプションとして使える英訳です。


Mercury Tea Ceremony Guest – “Sarānyo” (Small, Lotus Leaf)
Ceramic
2025

W 8 × D 8 × H 7 cm
This is the smallest size among the three shown in the photos.

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水星茶会譚 ― 乾いた星に咲く、ひとひらの蓮

太陽に最も近い惑星、水星。
その地表は絶え間なく降り注ぐ太陽光に焼かれ、
昼は溶けるほどの熱、夜は凍りつくほどの冷たさが支配する、
過酷で静謐な世界。

音も水も、風のささやきさえもほとんど存在しない。
それでも、宇宙の旅人であるサラーニョは、
この星になぜか不思議な懐かしさを感じていた。

彼の頭には、淡い緑のハスの葉——
まるで水面に浮かぶ月影を集めたように柔らかな光を宿す器があった。
乾いた水星の大地とは正反対の、
生命の水を象徴する器。

サラーニョが水星に降り立つと、
足元の砂がわずかに音を立てた。
そこは永遠の沈黙に包まれた灰色の大地。
しかし、その静けさはどこか寺院の内陣に似て、
深く深く、心を落ち着かせるものがあった。

サラーニョは、巨大なクレーターの縁に腰をおろし、
そこで静かに茶会の場を整えた。

太陽光は強烈で、地平線から立ちのぼる光は
まるで金色の水煙のよう。
彼の頭のハスの葉がその光を受けると、
淡く透け、影の中に水のような紋様を生み出した。
乾燥した惑星の上で、唯一“潤い”を感じさせる存在がそこにあった。

サラーニョは茶碗を取り、
旅の途中で集めたわずかな水を注いだ。
透明な一滴は、太陽の熱で揺らぎながらも消えず、
ハスの葉に宿る“水の記憶”が守るかのように
しずかに器の底に落ちていった。

やがて、茶の香りが立ちのぼる。
それは草原でも森林でもなく、
どこか蓮池の朝霧のように清らかで、
乾ききった世界にそっと色を差すような優しい香りだった。

その瞬間、
水星の地表に広がる影がゆっくりと動き、
遠くの山影が青いトーンを帯びはじめた。
それはまるで大地が、
サラーニョの頭のハスの葉を見て、
“失われた水”の記憶を思い出したかのよう。

乾いた世界に、
ほんの一瞬、風が通った。
砂がわずかに揺れ、
茶会の場の周りを静かに包み込む。

サラーニョは茶碗をそっと掲げ、
太陽に照らされたハスの葉の影を眺めながら一服を味わった。
そのひとくちの水は、
水星の大地が長い間忘れていた“潤い”そのものであり、
星の記憶の奥底に静かにしみ込んでいくようだった。

茶会を終えるころ、
太陽はさらに高く昇り、
世界は銀色の光に満たされていく。
サラーニョのハスの葉の器だけが、
その中でひときわ柔らかい緑の影を残し、
乾いた星に儚い湖のような気配を刻みつけた。

こうして水星の荒野に開かれた静謐な茶会は、
いまも太陽の近くで、
ハスの葉の光とともに
そっと輝き続けているという。

 

 

 

 

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ワビーニョサビーニャは、

宇宙人です。

様々な惑星から地球にやってきたので、

色や形はさまざまです。

 

みんな頭が器になっているので、お茶やお酒やお菓子や、

脇道に咲く小さな草花、きれいな砂浜のさんご、光る小石、

あなたが美しいと思ったもの、好きなもの

なんでも入れてあげてください。

 

彼らは頭部のうつわから地球の情報を集めて、

その情報を宇宙の図書館である金星に送ります。

金星に集められた美しいものの情報は

やがて宇宙の端々の生まれたての

星々の栄養になります。

 

ワビーニョサビーニャの頭に色々なものを入れて

地球の恵みの素晴らしさ、あなたが日々の中で感じる

この世界の美しさを教えてあげてください★


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作品のコンセプト


日本のうつわには、人の身体の名称が用いられることがあります。たとえば、器の縁は「口」、中央のふくらみは「胴」、くびれた部分は「腰」、底部は「足」や「高台」と呼ばれています。こうした呼び名は、器をただの道具ではなく、ひとつの“身体”としてとらえる日本独自の感性を反映しているように思います。

私は、こうした器の呼び方に出会ったとき、すぐに「この器は生きている」と感じました。手のひらに乗せたときの重さや、形のバランス、口の開き具合までもが、まるでその器の“性格”のように思えてくる。だから器に料理を盛りつけるときも、私はどこかでその器の気持ちに耳を傾けているのかもしれません。

室町時代に描かれた絵巻『付喪神記』には、長年使われた道具たちが妖怪となって現れ、夜の町を行進する様子がユーモラスに描かれています。鍋や釜、木魚、鰐口といった日用品が、命を得たように踊り出すその光景に、私は初めて見たときから心を奪われました。そこに描かれていたのは、日本人が昔から抱いてきた「モノには魂が宿る」というまなざしそのものだと思います。

日本には「八百万の神」という考え方があります。自然のすべてに神が宿るように、日々使う器や道具にも、心があると私は感じています。たとえ器の一部が欠けてしまっても、金継ぎを施すことでさらに魅力を増し、新たな物語を持つようになる。私は、それがまるで子どもを育てるような行為だと思っています。

こうした“モノとの関係”のなかで、私は作品をつくっています。器をモチーフにしたキャラクター「ワビーニョ」「サビーニャ」たちは、器と向き合い、対話するように生まれてきました。命を感じるモノたちと暮らす楽しさを、私はこれからも作品の中で育てていきたいと思っています。     

ワクイアキラ


Consept


In Japanese culture, it’s not uncommon for parts of a ceramic vessel to be described using terms from the human body. The rim is called the “mouth,” the rounded middle “body,” the narrowing section “waist,” and the bottom is referred to as the “foot” or “base.” These expressions reflect a uniquely Japanese sensibility—one that sees a vessel not simply as an object, but as a kind of living body.

When I first encountered this way of describing ceramics, I immediately felt, “This vessel is alive.” The weight in the palm of my hand, the balance of its form, even the angle of its opening—all of it seemed to express a kind of personality. That may be why, when I plate food onto a dish, I find myself instinctively listening to the vessel’s quiet presence, as if to its feelings.

One of my inspirations is a picture scroll from the Muromachi period called Tsukumogami-ki, which depicts old household tools—pots, kettles, temple instruments—transforming into spirited beings and marching joyfully through the night. From the moment I saw it, I was captivated. The scene perfectly embodies a deep-rooted Japanese worldview: the belief that all things, even tools and everyday items, possess a soul.

This is closely tied to the concept of “Yaoyorozu no Kami”—the belief that deities dwell in all things, from mountains and rivers to humble objects we use every day. I’ve come to feel that even vessels and utensils carry a heart of their own. When a piece becomes chipped or broken, it is often mended using kintsugi, a traditional technique that repairs the damage with lacquer mixed with gold or silver. Rather than hide the flaw, it honors it, giving the object a new beauty and a new story. To me, it feels like nurturing a child—cherishing it as it grows and changes.

This philosophy of forming a relationship with objects is at the core of my creative practice. The characters “Wabinho” and “Sabinha” were born from such a dialogue with vessels. They embody the spirit of ceramics—each one with its own voice, its own quiet life. Through my work, I hope to continue exploring the joy of living alongside things that seem to breathe with presence and memory.

— Akira Wakui

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「ワビーニョサビーニャ」の名は、

前述のような精神的背景を基に創出された造語です。

日本の美意識を表す「侘(わび)・寂(さび)」――質素で慎ましくありながら、内に深い趣と豊かさを秘めた美学――に、スペイン語で「こども」を意味する語尾「ニョ」「ニャ」を組み合わせることで、素朴さと愛らしさを兼ね備えた独自の存在が生まれました。

この作品は、器や道具に宿る「心」や「物語」を可視化し、モノとの関係性を再認識するきっかけとなることをねがいながら作家自身の手のよって1点1点生み出されています。

古くて新しい、命あるものたちとの共生の世界を、

どうぞお楽しみください。