ヘリオスフィア茶会客人
ヘリオスフィア茶会客人
陶
2025
size d 5cm ×w 5cm× h 7cm
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作品のコンセプト
日本のうつわには、人の身体の名称が用いられることがあります。たとえば、器の縁は「口」、中央のふくらみは「胴」、くびれた部分は「腰」、底部は「足」や「高台」と呼ばれています。こうした呼び名は、器をただの道具ではなく、ひとつの“身体”としてとらえる日本独自の感性を反映しているように思います。
私は、こうした器の呼び方に出会ったとき、すぐに「この器は生きている」と感じました。手のひらに乗せたときの重さや、形のバランス、口の開き具合までもが、まるでその器の“性格”のように思えてくる。だから器に料理を盛りつけるときも、私はどこかでその器の気持ちに耳を傾けているのかもしれません。
室町時代に描かれた絵巻『付喪神記』には、長年使われた道具たちが妖怪となって現れ、夜の町を行進する様子がユーモラスに描かれています。鍋や釜、木魚、鰐口といった日用品が、命を得たように踊り出すその光景に、私は初めて見たときから心を奪われました。そこに描かれていたのは、日本人が昔から抱いてきた「モノには魂が宿る」というまなざしそのものだと思います。
日本には「八百万の神」という考え方があります。自然のすべてに神が宿るように、日々使う器や道具にも、心があると私は感じています。たとえ器の一部が欠けてしまっても、金継ぎを施すことでさらに魅力を増し、新たな物語を持つようになる。私は、それがまるで子どもを育てるような行為だと思っています。
こうした“モノとの関係”のなかで、私は作品をつくっています。器をモチーフにしたキャラクター「ワビーニョ」「サビーニャ」たちは、器と向き合い、対話するように生まれてきました。命を感じるモノたちと暮らす楽しさを、私はこれからも作品の中で育てていきたいと思っています。
ワクイアキラ
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ヘリオスフィア茶会客人が席に着くと、茶会の周囲に見えない膜が張られる。
それは壁ではなく、柔らかな風の層だ。
外界から届く過剰な刺激や、遠くの不安、鋭すぎる視線は、その層に触れた瞬間、静かに弱められる。
彼の頭部の器には光を含んだ水が満ち、恒星風のように一定のリズムで揺れている。
その揺れに包まれると、ワビーニョたちは自分を守ろうと力む必要がなくなる。
守りとは閉じることではなく、ちょうどよく隔てることだと、客人は何も言わずに示す。
茶会が終わるころ、その膜はそっと消える。
だが参加者の内側には、壊れにくい静かな境界が残されている。